2014年5月26日月曜日

ブログ再生

いろいろなところで以前にもつづれ書きらしきものを公表していましたが、大学からのサバティカルもあと3ヶ月となった時点で、いくつかの国を移動しながら考えてきたここ1年のまとめに入ろうと思い、ブログを再生することにしました。

2月末からの長い帰国のおかげで、ひさびさに日本語でじっくりものを考える時間ができました。両親の家に戻り、震災後、輪をかけるように人口が減り続ける福島県境に近い宮城の町から世界を見るという、なかなかできない経験を現在しています。

この家にはむかし祖父母が住み、仙台に育った僕は子供の頃よく遊びに来ていて、その頃は家のそばに小さいながらも1本道の商店街があり、ひとりっ子の僕が年上のいとこたちにつれられて、文房具やお菓子や海釣りのえさを買った店がいくつか軒を連ねていましたが、現在開いている店はもうほとんどありません。震災による津波で駅舎ごと流されてしまった常磐線を内陸部に迂回させたところに駅を作り、その周りにあらたな住宅地と商店街を作る方向で町の政治は動いていますが、それで人口減少に歯止めがかかるとは思えず、そもそも国外に住んでいる自分がそこで頭を悩ませること自体、おこがましい気もします。

20年以上カナダとアメリカに住み続け、パスポートは便宜上の紙としか思っていない自分には日本という国家的システムに愛着もなく、期待もしない。しかし両親や地元の友人から広がっている文化や地域は、遠くに住んでいると、残滓のように漠然と自分の中に巣くう感覚ですが、帰ってきてみると、それが自分の身体感覚としてリアルになり、自然に感じられてくる。それが、郷里というものなのかもしれません。

いっぽうで、僕は高度経済成長後の仙台という地方都市に育ち、近代化された都市風景そのものに愛着があるゆえに、安全の確保が出来て、ある程度の都市であれば北米でも南米でもヨーロッパでも生きていける、しかも快適に住めるとも思う。自分の育った1980年代は、まだ「国際化」や、「21世紀」という言葉に夢があり、僕はコスモポリタンになることに強いあこがれを抱いていました。そういう点では、自分は表層的なコスモポリタンになることには成功しましたが、やはり近代化された空間は勝手が同じであることを目的に作られた国際空港のようなもので、平準化された世界はあまり、というか、かなり面白くない。

近代化の波のおかげで人口が都市に流出し、さらに原発や津波で急な方向の見直しを迫られて、両親の住むこの町に残っているのは、田んぼと畑を中心とした空間と、仮設住宅を含む、分断された空間。津波でほとんどの建物が流された、家から歩いて15分ほどの沿岸部は、平準化どころか自然に戻ってしまっています。

そう考えているうちに、そのきびしい空間を内包した東北の地方と、日本の外にある地方を、ダイレクトにそのまま結びつることができたら面白いかもしれない、と思い始めました。グローバルに開かれていながらローカルである、という不思議な空間が生まれれば、もう少し町に活気が戻るのではないか?

漠然とアメリカでの仕事を続けながら、こういう郷里を「生かす」仕事を具体的にどうやっていくのか、という難しい問題はあります。しかし、情報化社会とグローバリゼーションの利点は、遠隔操作で仕事ができるところ。

自分の手の届く範囲内を見きわめつつ、少しずつその範囲を広げながらこれから何が出来るのか考えていこうと思っています。


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