2014年6月29日日曜日

模倣と音楽

誰かに音楽の話もブログで取り上げてほしい、と仰せつかったので、音楽について考えていることを書いてみます。

前回のブログで、ワーグナーのオペラ「ニーベルングの指環」のアンヴィル(鉄立)の合奏について触れましたが、4作から成る「指環」の2作目、「ラインの黄金」の2場に出てきます。(2:40以降)



それから、ヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」にも。


これらは、もちろん演劇と音楽が融合された「歌劇」ですから、音楽も舞台上のアクションを忠実に反映し、音に具体的な「意味」が担わされています。普通の「絶対音楽」と呼ばれる、クラシックのインストゥルメンタル曲では、通常「ドミソ」というピッチの集合は、ドミソという和音以外のなにものでもなく、それが指環や、飛行機や、片想いや、媚薬であったりすることはありません。

しかし音楽も、その昔は他の芸術と同じように現実世界の「模倣」が基本になっていると考えられていました。

プラトンはこう言っています。

「音楽の時間と旋律は性格(エートス)を、我々に想起させる(具体的な)イメージを与える。」

彼はつまり、私たちが、ある音楽を聞いて悲しいと感じるのは、その音楽が私たちの心に「悲しい」という具体的なイメージをもたらすからであり、絵画に描かれた「家」を見て、私たちが実際の「家」を想像できるのと同じだ、と言っているわけです。

これが、アリストテレスの掲げる「模倣」(Mimesis)があらゆる芸術の根底にある、という思想です。

僕は基本的に、音楽は抽象的なものだと思っています。440hzという空気の振動は、それ以上でもそれ以下でもないと考えます。しかし、自分で音楽を作るときには、音以外のものから得たイメージが、役に立つことはあります。

20世紀になって、音楽の抽象性だけが強調されるようになり、その反動としてMimeticな音楽の新しい可能性も出てきました。それは、楽器から出る音や、他のいろいろな音を科学的に分析することによって、音の生成の仕方、音色、音響、そういったこれまでよく解明されなかったことが分かるようになり、科学的に音を分析し、その結果を作曲または演奏の材料とすることを可能にしたからです。

例えば、黛敏郎の「涅槃交響曲」。これは梵鐘の音を科学的に解析した音を、オーケストラのハーモニーに「翻訳」して、曲の構成に使ったもの。



それから、ペーター・アブリンガー の古今東西の人物(毛沢東からマザー・テレサ、アポリネールからパゾリーニまで!)のスピーチパターンを分析し、その癖をピアノの伴奏に「翻訳」したこれ。


あるいは海岸に打ち寄せる波を解析して、音色とハーモニーの構成論理を作り、壮大な管弦楽曲とした、畏師トリスタン・ミュライユのこれ。



厳密に言えば、こうして使っている言葉も、「現実」を象徴しているだけであって、「海」という言葉はあの膨大な量の水が寄せては返し、水平線を越えて広がっている、それ、そのものではありません。この絵のように。



こうして作られた音楽も、象徴されたもの、あるいはその具体的な発想の種子から大きく変容させられて何か別なものになっていることが面白く、音楽は空気を震わす波形としか存在しえないことに、僕は逆に豊かさを感じます。



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2014年6月25日水曜日

蝦夷(えみし)に住んでいた、たたら師たちの音楽

今日は、NPO亘理山元まちおこし振興会の理事をされている千石信夫さんと、郷土史の研究をされている菊地文武さんにお話をうかがってきました。

千石さんは地元山元町のNPOを通じ、古民家の保存や新しい農産物を使ったまちおこしなど、幅広く精力的に活動されています。(活動が掲載された河北新報の記事はこちら

菊地さんは、山元町一帯から出土している遺跡に多く見られる奈良・平安時代の製鉄炉の跡に注目し、東北の鉄が「やまと」の古代史に与えた影響について研究されています。ご自宅も被災されたのですが、その負のエネルギーをすぐに転換させ、「山元町での鉄生産に始まる古代東北の物語」という本を書いています。(氏の著作を紹介した同じく河北新報のリンク

震災後のインフラ整備だけにとどまらない、長期的なまちづくりを考えているお二人と、刺戟にみちた時間を過ごし、そのまま菊地さんの車で現在発掘中の新中永窪(しんながくぼ)遺跡へ。

奈良後期から平安時代に使われた製鉄炉跡を中心に、住居、須恵器や炭を焼いた窯などが実にきれいに残っていました。





東北の歴史を知るうえで、この南相馬地区から亘理に連なる製鉄炉の跡は、ロゼッタストーン。

高橋崇氏の「蝦夷(えみし)」では、鉄の生産とヤマト朝廷の蝦夷制圧の因果関係が書かれています。しかし、実はすでに弥生時代から東北で製鉄が行われていた可能性が、最近の研究で示唆されています。

日本がひとつではなく、いくつもの日本であった時代、すでに鉄を作っていた弥生の蝦夷の末裔や、高度な技術を持って朝鮮半島から渡ってきた移民たちの手で、さらに洗練が進んだこの地方の製鉄に、朝廷が目を付けたのかもしれない。

近世以降、農村地帯として中央が手なずけようとしてきた東北の田舎とは、全く別の顔がそこから見えてきます。

たたら鍛冶の跡を見ながら、ピタゴラスが鍛冶屋の叩くハンマーの音を聞いて、西洋の音律を編み出したことを思い出しました。ワーグナーのオペラ、ニーベルングの指環で、アンヴィル(鉄立=かなとこ)を使ったコーラスが出てくるのは、指環をつくるという筋書きの問題だけではなく、ワーグナーは音楽と、シャーマンとしての鍛冶師の神話的つながりに気がついていたからです。

東北の古代のたたら師たちは、果たしてどんな音を奏でていたのでしょうか?


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2014年6月24日火曜日

ワールドカップとイラクを抱えた世界

世界がワールドカップで沸いている間に、イラクが泥沼化している。

2週間ほど前に、イラク第2の都市であるモスルが武装勢力ISISに渡り、今日はヨルダン国境も制圧。ISISはスンニ派の勢力。アルカイダよりも過激だという話もある。

イラクのマリキ首相はシーア派。シリアのアサド大統領もシーア派。あれ?

アメリカがイラクでシーア派の長を立てておきながら、シリアでシーア派の長を倒そうとしているのは明らかに矛盾している。しかも、イラクで勢いの止まらないISISには、アメリカがシリアの反政府勢力に渡した武器が流れているらしい。

イラン・イラク戦争の時にフセインを支援したアメリカが、90年代に入ってフセインを敵に回したことを思い出す。アフガニスタンに侵攻してきたソビエトを敵に回して、ビン・ラディンに資金と武器を与えた過去も忘れてはいけない。

中東情勢を見ていると、敵・味方の一線はくるくる変わる。敵か味方か、という単純な図式は使い物にならない。サッカーの勝ち負けとは、ちょっと違う。

9.11のが起こってから1−2週間の間、ニューヨークの人々はとても優しくなった。僕はニューヨークに来て3年目だったが、あの2001年はニューヨークが村社会の集まりであることを実感させてくれた。あれだけ違う人種が住んでいれば、互いに複雑な偏見の交錯もあるし、住民の貧富の差があれほど激しければ、シビアな利害関係が常に生まれる。しかし、9.11の直後のニューヨークでは、貧富や人種・文化の違いは取りあえず置いておいて周りとうまくやっていこうという、現実的で俗っぽくって、あたたかい人間関係が生まれていた。(今も、すこしだけあの頃の人の輪がニューヨークには残っている気がする。)

それに対して、テロリストを見つけて"Smok'em Out!"と言った、ときの大統領や、その政権の国防長官に"Show the flag."と言われて派兵した我が国の首相は、ぐちゃぐちゃな中東情勢をとりあえず敵・味方に分けて、その場を収拾しようとした。

しかし、平和な日常世界での人間関係でさえ複雑でしたたかなのに、ここ35年の中東情勢となればもっと複雑で難しい。

敵と味方という図式は、人間の営みに根本的に反する気がする。戦時下では敵か味方の区別が速いほど、生き残れる確率も高いのだろうが、そういった状況を回避するのが人間の知恵ではないのか?

ともあれ、日本の今の政権でこのままいくと、また中東に自衛隊が派遣される日は近い気がする。

イラクはワールドカップ以上に目が離せない。

いやなかんじだ。






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2014年6月20日金曜日

野次をとばす心理

東京都議会で塩村あやか議員に向けられた野次に、多くの人が怒っています。

野次をとばすという心理は、
どこかで日本人の安穏としたスノビズムや
平和ぼけともつながっている。

四方を海に囲まれた安全圏。
そこの群衆に紛れて、匿名無責任な言葉を投げて、
安全な群衆=マジョリティの中に逃げる狡猾さ。

野次を飛ばした人たちは、きっと日本の単一民族神話を疑わず、
自分たちが攻撃されるなんて、考えたこともないのでしょう。
そのうえ、きっと無根拠に自分は優れていると思っている。

優れているから、他者は遠慮して攻撃を仕掛けてこないと思っている。
根拠のない優越性は、ときどき確認される必要があるので、
マイノリティである他者にちょっかいを出す。

ちょっかいや攻撃の対象となる他者は、外国人でも、女性でも、
とにかく自分より弱い立場で、抑えつけられる対象であれば誰でも良い。
ましてや、女性個人の身体の問題に立ち入るのは、言葉によるレイプ。

自己肯定のために他者を攻撃し、従属させようとするファシズム。

子どものいじめより酷い。

議会レベルでこんなことが行われている国、日本。

ただ、残念です。

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2014年6月18日水曜日

3日間、邦楽について考えたこと。

「平安の遊び心を現代に」というテーマで、土曜日はコロンビア大学中世日本研究所主催のコンサート、続いて日曜日は日本音楽サミット、それから昨日月曜日には一柳慧氏の邦楽器と西洋楽器のための曲を集めた個展、という盛りだくさんの3日間を終えました。

サミットのお題は、伝統邦楽の愛好家や演奏家が年々減り続けるなかで、日本人も外国人も、分け隔てなく邦楽器を学べる環境をつくるためのイニシアティブ。

それぞれの立場を越えて、教育者、財団や劇場といった組織の長、ジャーナリスト、プロデューサー、演奏家などによる話し合いが持たれました。僕は単なるオブザーバーでしたが、これらの人々が一同に介したことが、これまでほとんどなかったところから始めるわけですから、これから先は長いのですが、コロンビア大学が良い意味での外圧になれれば、膠着した状況を抜け出す糸口が見つかるかもしれない。

4つに分けられた戦略チームの報告を聞いていると、参加者の立場や見解の相違以上に、邦楽の置かれた危機的な状況が見えてきました。若い世代の興味をひくことができず、後継者が育たない。楽器をたしなむ人口が減ると、楽器商が成り立たなくなる。楽器が手に入りにくいので、さらに楽器を始める人が少なくなるという悪循環。

邦楽の話をすると、「日本文化は素晴らしい−>日本文化は守られるべきだ−>西洋崇拝から脱却しよう」という文脈になりがちです。しかし、日本文化 vs 西洋文化という二項対立からできるだけ離れた方が、建設的な話し合いができるはずです。

文化は競争するものでもなく(競争したって、J-Popも歌謡曲もなくならないし、取りあえず今は西洋音楽に勝ちっこない)、語学教育や算数ならともかく、芸術の教育を、「成功」というはっきりとした経済的な物差しでは考えられない。

日本における西洋音楽は、一面では西洋人の「立派な」身体に追いつくために、唱歌を使って身体改造をも目論んだ官製文化が発端でした。唱歌を書いた山田耕筰が、のちに戦意を高揚させる軍歌を多く書くことになったのは、偶然ではないように思えます。

芸術はわたしたちの無意識に働きかけるだけに、政治利用はたやすい。
例えばオリンピックのポスターのデザインや、フォントの選択に至るまで、それらが私たちを意図的にどこかに導いている可能性を考えると、夜も眠れなくなってしまいます。

僕はただ単に、長唄なり地唄や、他の絶滅危惧種である邦楽の様々が、世界の大きな生態系からなくなるのはあまりに寂しいから、単純に守っていきたいと思うわけです。天然記念物の動物がいなくなるのとあまり変わりがない。もちろん、人間−>動物のような上から目線でもなく、帝国主義者が植民地の文化に向ける、擁護者としての目線でもなく、純粋に一緒に守っていきたい、と思います。

フタコブラクダがモンゴル人のアイデンティティにとって重要であるか、とか、イリオモテヤマネコの琉球文化における認識とか、あまり考えてもしょうがない。

演奏家をフタコブラクダだとすれば、フタコブラクダはモンゴル人のアイデンティティなんか、どうでもよいはず。

僕にはフタコブラクダの形も顔もかなり面白いので、いなくなったらとても残念、それしか考えられません。

ともかく、ディスカッションは始まったばかりなのでした。
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2014年6月12日木曜日

日本のテレビのニュースに思うこと

日本に戻ってきて、両親と生活していると、彼らと一緒ににテレビを見ることになります。

アメリカのケーブルテレビの料金体系と、その内容に不釣り合いを感じるために、自分のアメリカでの家では、テレビを見ることがほとんどありません。

ネットから配信されるアル・ジャジーラとか、ハフィントン・ポストなどをテレビに映して見ることはあっても、アメリカの三大ネットワークニュースに触れることはあまりなく、アメリカのテレビの状況をきちんと把握しているとはいえないのですが、日本のテレビでいつも気になることがあります。

それは日本のテレビのニュースが、どのチャンネルを取っても、報道の視点があまり変わらないこと。

アメリカだと、フォックスニュースはかなり右より、MSNBCはかなり左より、という風に局ごとの視点がはっきりしていて、良くも悪くも、制作者の意図を感じることができます。常に自分と似ている視点と、かなり違う視点が世の中に存在していることがわかるようになっている。逆を返すと、どんなメディアも公正ではあり得ない、という認識を植え付けられることになります。

日本のニュースは、NHKに見られるように「客観的で正しい報道」幻想をお手本にしている感がぬぐえず、見ていてちょっと気持ちがわるい。

記者クラブの会見をみんなで聞いてぶら下がり取材をしながらニュースを作っていたら、どの局でも同じようなニュースができあがるのは無理もないのですが、実に不思議な報道のシステムです。

メディア・リテラシーは、もっと日本で問題にされるべきではないでしょうか?
5 Blog: 6月 2014 日本に戻ってきて、両親と生活していると、彼らと一緒ににテレビを見ることになります。 アメリカのケーブルテレビの料金体系と、その内容に不釣り合いを感じるために、自分のアメリカでの家では、テレビを見ることがほとんどありません。 ネットから配信されるアル・ジャジーラとか、ハフィ...

2014年6月8日日曜日

縄文、ジャスパー・ジョーンズ、雅楽

6月14日の土曜日、東京の紀尾井ホールで8年ほど前に書いた「かさね格子」という雅楽三管(笙、篳篥、龍笛)のための作品を中村仁美、笹本武志、宮田まゆみの三氏に再演して頂くことになっています。

再演がなかなかされない現代音楽の世界において、6度か7度目の再演をしていただくのは、たいへんにありがたいことです。

そのコンサートの司会も私が担当することになっていて、きょうはそのコンサートで取り上げられる細川俊夫、伊佐治直、笹本武志、エリザベス・ブラウン、高岡明、小濱明人各氏が書かれた曲の音源を聞きながら、プログラムノートの予習をしています。

また私自身が8年前に書いたプログラムノートや日記も、いっしょに読み直してみました。(いま読むとかなり恥ずかしいです・・・)

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2006年12月9

今朝のメインは初積雪となり、車検を8月に切らしていた僕は、近くのガレージに車を出しに行った。
  
車を整備してもらう間、吹雪に飛ばされそうになりながら、ガレージ近くのコーヒーショップにラップトップを抱えて歩く。仕事を終わらせるつもりで行ったのだが、コンピュータのバッテリーは充電切れ。ところが、店のどこを探してもコンセントが見つからない。仕方なくカフェ・オ・レにショコラティン、という自分としては異常にフレンチな朝食を食べながら、今週のニューヨーカー  をカバンから取り出す。ページを開いたところに、カルヴィン・トンキンズによる、ジャスパー・ジョーンズとの長いインタビュー記事が出ている。ジョーンズと30年来の知己というトンキンズが、インタビュー嫌いで知られるジョーンズをついに説得し、彼のコネチカットのアトリエ兼自宅から、サン・マルタンのセカンド・ハウスまで行って話を聞いてきた力作。リズムの良い文体に誘い込まれる。
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ホイットニーやMOMAでジョーンズの絵を何度か見ている以外に、僕はジョーンズの事をほとんど知らない。インタビューによると、彼のリビングルームには縄文土器が5点もあり、USUYUKI(薄雪)というシリーズの作品を、ここ30年近く描いているというから、かなりの日本好きであることが窺える。しかも、彼が21歳のときに、仙台へ兵役で送られたことがそのきっかけになっているらしい。兵役といっても既に彼が20歳のとき、故郷サウス・カロライナで、兵隊向けに絵の展覧会を企画運営する仕事をしていた前歴を買われての事だったから、仙台での仕事も、映画のスケジュールの印刷や、性病の危険さを知らしめるポスターのデザイン!などと、朝鮮半島の戦火からは遠く離れたものだったようだ。

僕は、2週間ほど前に特に用があるでもなく、コネチカットに1泊した。きれいだけれど、何もないところだった。仙台、コネチカット、雪、という、僕とジョーンズの淡い偶然の交錯を考える。ジョーンズも親しかったジョン・ケージの言葉を思い出す。辞書にmusicとmushroomが隣り合わせに載っているという、偶然の奇跡。

次の曲は、雪がらみでいこう。

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今年は地元宮城県の郷土史にも魅せられて、江戸時代の茶室や身近にある縄文の遺跡についてブログに書いたりしていますが、8年前の自分にとってこの雅楽器のための曲を書くということは、自分の足下を見直す作業から始まっていました。

音楽はどんなに伝統的なものであっても、お客さんの前でライブ演奏されることによって、現代のものになります。

長い時間の中でみると、ちょっとした偶然の積み重ねが、「伝統」や「歴史」を私たちに感じさせる結果になったのだとしても、つねに始原に遡って現在を考えることができる、柔軟な心を持ちたいと思います。

じつにむずかしいですが。

5 Blog: 6月 2014 6月14日の土曜日、東京の 紀尾井ホール で8年ほど前に書いた「かさね格子」という雅楽三管(笙、篳篥、龍笛)のための作品を中村仁美、笹本武志、宮田まゆみの三氏に再演して頂くことになっています。 再演がなかなかされない現代音楽の世界において、6度か7度目の再演をしていただくのは...

2014年6月6日金曜日

茶室という空間

おととい、僕の実家、宮城県亘理郡山元町坂元の茶室を保全したい、とブログに書きましたが、僕はお茶が点てられない、ただの素人です。

しかし茶道という立ち居ふるまい、を「道」としてしまった文化には瞠目します。

20世紀になって、日常生活とアートの境目をとっぱらってしまおう、というアイディアのもと、パフォーマンスアートというジャンルが生まれてきましたが、利休という人は、そんなことをすでに16世紀に考えてしまった。

しかも、ルソン島で汚物入れとして使われていたあやしげな陶器を、茶器として使ってしまう。利休が元々の用途を知っていたかどうかは別としても、20世紀の初めにマルセル・デュシャンが道で拾ってきた便器を美しく感じて、自分の名前をそれにサインして、「アート」と呼んでしまった発想にも近い。


ルソン壺
マルセル・デュシャンによる「泉」

人の集まる場をつくり、人と人とをつなげていくという作業は、アートの根幹でもあるコミュニケーション。茶の湯は建築、花、掛け軸などの、場を構成するオブジェを含めて、マルチメディアアートでもあり、パフォーマンスアートでもあります。茶を飲むだけでなく、新しい目でモノを見る空間と時間を作る、たいへんな編集能力がそこには備わっています。

例えば最近、リクリット・ティラバーニャという作家が、ギャラリーでお客さんに料理をふるまう行為そのものを作品としていますが、利休の前例を考えると、少なくとも400年遅い。

震災で分断された町のコミュニケーションをつくる場として、歴史ある茶室の復活を考えてみたい。

8月に日本を去る前に、なにか結果を出したいです。






5 Blog: 6月 2014 おととい、僕の実家、 宮城県亘理郡山元町坂元の茶室を保全したい 、とブログに書きましたが、僕はお茶が点てられない、ただの素人です。 しかし茶道という立ち居ふるまい、を「道」としてしまった文化には瞠目します。 20世紀になって、日常生活とアートの境目をとっぱらってしまおう、...

2014年6月4日水曜日

うちの近所で朽ち果てつつある仙台城の遺構について

祖父の実家のそばには歴史のある茶室が残っている、という話は子どもの頃から聞かされていました。

そばには立派な大手門と板倉もあり、地元の大條氏が、仙台藩12代目藩主の伊達斉邦から茶室と共に与えられたもの。もとを辿ると、大手門と茶室は、仙台藩初代の伊達政宗が、豊臣秀吉からもらったという説もある。その話が本当なら、この大手門は京都の伏見城から仙台城を経て、ここ坂元城本丸に移築されたということもあり得るらしい。

おなじく宮城県、松島にある観瀾亭は、政宗が秀吉からもらってきた茶室で、県の文化財指定を受けています。その観瀾亭とは姉妹関係にあるはずの、坂元の茶室は、現在このありさまです。






かりに秀吉=政宗という関連性がなかったにしても、この茶室、大手門、板倉の3つは仙台空襲でほとんど焼失してしまった仙台城跡で、ほとんど唯一現存するオリジナルの建築物。

どうして山元町はここまで放っておいたのか?

震災復興で多くのことが後回しにはなっているのでしょう。しかし、今すぐ直さないと、茶室は明日にでも崩れそうです。ちょっとした地震がきたら潰れるでしょう。

まずはこの情報を拡散して、補修・保存につなげられるようにしたいと思います。
5 Blog: 6月 2014 祖父の実家のそばには歴史のある茶室が残っている、という話は子どもの頃から聞かされていました。 そばには立派な大手門と板倉もあり、地元の大條氏が、仙台藩12代目藩主の伊達斉邦から茶室と共に与えられたもの。もとを辿ると、大手門と茶室は、仙台藩初代の伊達政宗が、豊臣秀吉からもらった...

2014年6月3日火曜日

築地本願寺と新国立競技場

築地本願寺を今年初めて目にしました。

カナダから来た友達を築地の場外市場に案内したあと、予備知識なく本願寺の前を通ると、その建築の異様さに目を疑いました。

正門からのぞいた大きな石造りの建物は、今年2月に訪れたアンコール遺跡を思わせる。東京の寺なのに、もっと西のアジアの異界。しかも、門のわきにあるポスターには、境内備え付け(!)パイプオルガンリサイタルの案内。ますますよく分からない。

家に帰って本願寺について調べると、インドの寺院建築を模したものだと書いてあります。作った伊藤忠太という人物は、なかなかのくせ者。明治元年生まれ、山形出身。法隆寺の柱を見てエンタシスとの共通点にピンと来て、法隆寺ギリシャ起源を唱えたのも、彼が最初らしい。そこで西洋一辺倒の明治近代建築に違和感を覚え、1902年には日本建築の起源をユーラシアに探し、中国、ビルマ、インド、セイロン、トルコ、シリア、エジプトのほとんどを馬に乗って、3年も放浪したといいます。僕は、なんとなくその能率の悪さと粘り強さに東北人らしいものを感じるのですが、そこで彼は中国雲崗岩窟の中に、多種多様なインドやガンダーラ式仏像、ペルシャや東ローマ系の建築ディテール、さらにはイオニア式柱頭などが、中国周漢時代の伝統と混在しているのを発見します。この旅は、法隆寺ギリシャ起源論の証明には至らなかったものの、彼に「建築は進化し、変容し続けるもの」という信念を持たせたようです。

そんな彼のユニークで実に大きなアジア的思考から、関東大震災で焼失してしまった築地本願寺の再建は始まったようで、その本願寺の内部にも様々な動物が配置されていて、ディテールが生々しく、面白い。猿も、鶏も、象も、ライオンもいる、ディープな空間。





その彼がどうして年を取ってから、神社は木造でなければならない、という保守的な考えに移行し、明治神宮の建築をしていくのは、僕の勉強不足で分からないのですが、その明治神宮と代々木の森が、新しい東京オリンピック競技場によってまた大きく変容しつつある。伊藤忠太とザハ・ハディド。伊藤忠太は、この「進化」を受け入れたでしょうか?



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