2014年6月3日火曜日

築地本願寺と新国立競技場

築地本願寺を今年初めて目にしました。

カナダから来た友達を築地の場外市場に案内したあと、予備知識なく本願寺の前を通ると、その建築の異様さに目を疑いました。

正門からのぞいた大きな石造りの建物は、今年2月に訪れたアンコール遺跡を思わせる。東京の寺なのに、もっと西のアジアの異界。しかも、門のわきにあるポスターには、境内備え付け(!)パイプオルガンリサイタルの案内。ますますよく分からない。

家に帰って本願寺について調べると、インドの寺院建築を模したものだと書いてあります。作った伊藤忠太という人物は、なかなかのくせ者。明治元年生まれ、山形出身。法隆寺の柱を見てエンタシスとの共通点にピンと来て、法隆寺ギリシャ起源を唱えたのも、彼が最初らしい。そこで西洋一辺倒の明治近代建築に違和感を覚え、1902年には日本建築の起源をユーラシアに探し、中国、ビルマ、インド、セイロン、トルコ、シリア、エジプトのほとんどを馬に乗って、3年も放浪したといいます。僕は、なんとなくその能率の悪さと粘り強さに東北人らしいものを感じるのですが、そこで彼は中国雲崗岩窟の中に、多種多様なインドやガンダーラ式仏像、ペルシャや東ローマ系の建築ディテール、さらにはイオニア式柱頭などが、中国周漢時代の伝統と混在しているのを発見します。この旅は、法隆寺ギリシャ起源論の証明には至らなかったものの、彼に「建築は進化し、変容し続けるもの」という信念を持たせたようです。

そんな彼のユニークで実に大きなアジア的思考から、関東大震災で焼失してしまった築地本願寺の再建は始まったようで、その本願寺の内部にも様々な動物が配置されていて、ディテールが生々しく、面白い。猿も、鶏も、象も、ライオンもいる、ディープな空間。





その彼がどうして年を取ってから、神社は木造でなければならない、という保守的な考えに移行し、明治神宮の建築をしていくのは、僕の勉強不足で分からないのですが、その明治神宮と代々木の森が、新しい東京オリンピック競技場によってまた大きく変容しつつある。伊藤忠太とザハ・ハディド。伊藤忠太は、この「進化」を受け入れたでしょうか?



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