2014年6月25日水曜日

蝦夷(えみし)に住んでいた、たたら師たちの音楽

今日は、NPO亘理山元まちおこし振興会の理事をされている千石信夫さんと、郷土史の研究をされている菊地文武さんにお話をうかがってきました。

千石さんは地元山元町のNPOを通じ、古民家の保存や新しい農産物を使ったまちおこしなど、幅広く精力的に活動されています。(活動が掲載された河北新報の記事はこちら

菊地さんは、山元町一帯から出土している遺跡に多く見られる奈良・平安時代の製鉄炉の跡に注目し、東北の鉄が「やまと」の古代史に与えた影響について研究されています。ご自宅も被災されたのですが、その負のエネルギーをすぐに転換させ、「山元町での鉄生産に始まる古代東北の物語」という本を書いています。(氏の著作を紹介した同じく河北新報のリンク

震災後のインフラ整備だけにとどまらない、長期的なまちづくりを考えているお二人と、刺戟にみちた時間を過ごし、そのまま菊地さんの車で現在発掘中の新中永窪(しんながくぼ)遺跡へ。

奈良後期から平安時代に使われた製鉄炉跡を中心に、住居、須恵器や炭を焼いた窯などが実にきれいに残っていました。





東北の歴史を知るうえで、この南相馬地区から亘理に連なる製鉄炉の跡は、ロゼッタストーン。

高橋崇氏の「蝦夷(えみし)」では、鉄の生産とヤマト朝廷の蝦夷制圧の因果関係が書かれています。しかし、実はすでに弥生時代から東北で製鉄が行われていた可能性が、最近の研究で示唆されています。

日本がひとつではなく、いくつもの日本であった時代、すでに鉄を作っていた弥生の蝦夷の末裔や、高度な技術を持って朝鮮半島から渡ってきた移民たちの手で、さらに洗練が進んだこの地方の製鉄に、朝廷が目を付けたのかもしれない。

近世以降、農村地帯として中央が手なずけようとしてきた東北の田舎とは、全く別の顔がそこから見えてきます。

たたら鍛冶の跡を見ながら、ピタゴラスが鍛冶屋の叩くハンマーの音を聞いて、西洋の音律を編み出したことを思い出しました。ワーグナーのオペラ、ニーベルングの指環で、アンヴィル(鉄立=かなとこ)を使ったコーラスが出てくるのは、指環をつくるという筋書きの問題だけではなく、ワーグナーは音楽と、シャーマンとしての鍛冶師の神話的つながりに気がついていたからです。

東北の古代のたたら師たちは、果たしてどんな音を奏でていたのでしょうか?


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