2014年6月4日水曜日

うちの近所で朽ち果てつつある仙台城の遺構について

祖父の実家のそばには歴史のある茶室が残っている、という話は子どもの頃から聞かされていました。

そばには立派な大手門と板倉もあり、地元の大條氏が、仙台藩12代目藩主の伊達斉邦から茶室と共に与えられたもの。もとを辿ると、大手門と茶室は、仙台藩初代の伊達政宗が、豊臣秀吉からもらったという説もある。その話が本当なら、この大手門は京都の伏見城から仙台城を経て、ここ坂元城本丸に移築されたということもあり得るらしい。

おなじく宮城県、松島にある観瀾亭は、政宗が秀吉からもらってきた茶室で、県の文化財指定を受けています。その観瀾亭とは姉妹関係にあるはずの、坂元の茶室は、現在このありさまです。






かりに秀吉=政宗という関連性がなかったにしても、この茶室、大手門、板倉の3つは仙台空襲でほとんど焼失してしまった仙台城跡で、ほとんど唯一現存するオリジナルの建築物。

どうして山元町はここまで放っておいたのか?

震災復興で多くのことが後回しにはなっているのでしょう。しかし、今すぐ直さないと、茶室は明日にでも崩れそうです。ちょっとした地震がきたら潰れるでしょう。

まずはこの情報を拡散して、補修・保存につなげられるようにしたいと思います。
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