関西を回り、以前から惹かれていた熊野へ行った。その印象は、期待をこえて圧倒的であった。
きのくに線を使って田辺駅で降り、バスに乗って湯峰温泉に着くまで、大阪、天王寺から約6時間。隣の県なのに、とにかく遠い。
山あいを縫うようにして移動すると、山が何層にも折り重なってそびえているのがわかる。ドイツのブラック・フォーレストともまた異質の、深くて暗い緑の森。
水切りをしていたすぐ脇に神が降りてきたと言われる場所、大齊原(おおゆのはら)があることを知って、次の朝、早起きして参拝する。鳥居をくぐってしばらく行くと、低い石垣が濃い苔に覆われているのが見える。
その石垣から突きだした階段を数段上っていくと、広いフィールドに石碑がちらほらと見えてくる。中心には小さな石祠が2つ祀られており、その中に本宮の社殿の遺構が納められているらしい。
見とれていると、何かを話しながら誰かが近づいてくる。振り向くと、痩せたおばあさんが杖をつきながらやってくる。「おはようございます。」と会釈をすると、向こうは深々と頭を下げて「おはようございます。」と、僕を手招きをする。
「あたしゃ、今年で99歳。こうして毎年拝ませていただいて、おかげさまでこうしていられるのよ。」と、彼女。「ここはあたしの庭みたいなものだから、お掃除させてもらっているのよ。」
笑顔で、ふたこと、みこと、彼女と言葉を交わしてから、僕はおおゆのはらを降りて、昨日の河原の方へ歩く。河原に近づくと、また石垣があり、今度はもう少し高い土手になっていて、その上へ寝転んでみる。背中にあたる草が柔らかい。
1000年以上も間、熊野はあの老婆のような人々に愛され、詣でられてきた。
眼前の山々と川からなる光景は、厳しく、恐ろしいほどの気配に満ちているのに、それでいて何か懐かしくて、心が休まるのは、熊野に思い入れた人々の愛情が、澱のように堆積しているからのように思えてくる。
後鳥羽上皇が28回も訪れたという熊野。
僕はこれから何度行けるのだろう?
何度でも戻りたい。
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