しかし茶道という立ち居ふるまい、を「道」としてしまった文化には瞠目します。
20世紀になって、日常生活とアートの境目をとっぱらってしまおう、というアイディアのもと、パフォーマンスアートというジャンルが生まれてきましたが、利休という人は、そんなことをすでに16世紀に考えてしまった。
しかも、ルソン島で汚物入れとして使われていたあやしげな陶器を、茶器として使ってしまう。利休が元々の用途を知っていたかどうかは別としても、20世紀の初めにマルセル・デュシャンが道で拾ってきた便器を美しく感じて、自分の名前をそれにサインして、「アート」と呼んでしまった発想にも近い。
ルソン壺 |
マルセル・デュシャンによる「泉」 |
人の集まる場をつくり、人と人とをつなげていくという作業は、アートの根幹でもあるコミュニケーション。茶の湯は建築、花、掛け軸などの、場を構成するオブジェを含めて、マルチメディアアートでもあり、パフォーマンスアートでもあります。茶を飲むだけでなく、新しい目でモノを見る空間と時間を作る、たいへんな編集能力がそこには備わっています。
例えば最近、リクリット・ティラバーニャという作家が、ギャラリーでお客さんに料理をふるまう行為そのものを作品としていますが、利休の前例を考えると、少なくとも400年遅い。
震災で分断された町のコミュニケーションをつくる場として、歴史ある茶室の復活を考えてみたい。
8月に日本を去る前に、なにか結果を出したいです。
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